けやき坂メモ 「三輪車に乗りたい」 詞の分析

『走り出す瞬間』の詞には、ただメッセージを述べるだけのマニフェストのようなものから、叙情性を感じる詩らしいものまである。
そのなかで語りたくなるのは、前者のような読んだとおりの意味しかない詞ではなく、後者のような詩としての膨らみを持つ詞である。
すると「線香花火が消えるまで」のほかに目に止まるのは、謎めいたところのあるこの曲ではないかと思う。

「三輪車に乗りたい」

テーマ

秋元さんの詞の場合、その曲だけに、普段の彼の詞にはない何が加えられているかを考えるのが、理解するうえで重要である。この詞の場合は「三輪車」で、これが何を表しているか考えることになる。
僕が最初聞いたときは、子供時代を思わせるモノとして、漠然とした思い出の象徴なのかなと思ったが、詞を読んでみたなら、これは子供のころ抱いた友達への幼い愛情を表していることが分かる。

それから、2人で歌っていること、1番と2番で歌う部分が入れ替わることは、秋元さんの詞の場合、ときに重要で、ときには関係ない。僕はこの曲で、最初は特にそうした事情を気にせずに、ひとりのひとの気持ちを歌っているのかなと思っていたが、これも丁寧に詞を読むなら、1番と2番は別の語り手で、おそらくは家族の都合で別れた友達の双方が歌っているということになる。

以下では、この2つを証明するようにして、各パートを見ていくことになる。なお、評論なので詞を躊躇せずに引用する。


1番Aメロ 

アパートの前 端に寄せた三輪車は
(忘れられて)
近くに住んでいる子供のものだろう
(迷子みたい)



情景描写から入る、秋元さんの手堅いパターン。三輪車を見て、自分の幼かった頃を思い出すひとりの大人が語り手。

三輪車の情報として、子供の所有物で、忘れられたものだと述べられる。

ここで「アパート」という単語が出てくること、それから「端に寄せた三輪車」という説明、いずれも丁寧な風景描写だが、これがあとでさらにものを言うことになる。


Bメロ 

青い塗料が落ちたのは
放置した愛のせい
月日は過ぎる
(わがままに)


色は詞において感情を表すことが多いが、それを唐突に述べてはわざとらしい。ここでは、塗料が落ちるという必要な描写のついでに悲しみを表す青を出しているのが上手い。なお、これが赤では台無しなところから色の重要性が分かると思う。

「わがままに」は「月日は過ぎる」にかかっていて、人間の目から見て、こちらの都合を気にしない時間の残酷さを形容している。

重要なのは「放置した愛のせい」という1行で、そこに放置されているのは三輪車なのだから、三輪車と愛とが置き換え可能なものとして述べられていることが分かる。Aメロの情報と合わせて、放置された結果、月日が流れてボロボロになってしまった子供の愛情、それが三輪車ということになる。

サビ 

僕はここだよ
(大人になってしまったけど)
大きな声で
(何も変わっていないんだ)
叫んでるのに
(そんなの嘘だとバレているよね)
思い出に乗りたい
小さ過ぎたとしても


アパートから一輪車を眺めている語り手は、「僕はここだよ」と誰も聞いていないのに叫ぶ。実は、2番の語り手が聞きたがっている言葉で、ラストのサビでは2つが続くことでこのシンクロというか、すれ違いがより強調される。

柿崎さんの歌うカッコ内で面白いのは「そんなの嘘だとバレているよね」という表現で、「大人になって」「何も変わっていない」という自分の発言が嘘だと、誰かに言っている。もちろん、語り手は誰かに届くなんて思っていないから、これは自嘲しているということになるけど、同時に、語り手が頭に思い浮かべている友達なら、「僕」のことを分かってくれているだろう、という信頼の表れのようにも見える。

「思い出に乗りたい」は、普通「乗る」ものではない「思い出」を敢えて三輪車と重ねることで、三輪車に乗っていた頃の自分の気持ちに帰りたいということを意味する。「小さすぎたとしても」は、大人が三輪車に乗れないように、「何も変わっていない」わけではない大人の自分には、もう過去には戻れないことを意味している。それでも1番の語り手は「乗りたい」のである。

ここまでで分かるのは、三輪車を見た1番の語り手が、昔のことを思い出し、かつて友人に抱いていた、いまでは錆び付いた愛情が自分のうちにまだ残っていることに気付き、ひとり痛切に叫んでいる、ということである。


2番Aメロ 

ひっくり返り雨ざらしの三輪車が
(寂しそうで)
誰かにとって大事なものだったのに
(邪魔なだけだ)



Aメロではやっぱり情景描写から。ここで重要なのは、「ひっくり返り雨ざらしの三輪車」というところ。同じ三輪車が出てくるので、1番と共通する三輪車のようだが、「アパートの前 端に寄せた三輪車」という表現で「端に寄せる」のは人の手でやることだとすれば、わざわざひっくり返さないのではないか。すると、別の三輪車だと考えたほうが自然である。そもそも、2番が始まった瞬間に「ひっくり返り」という言葉が何を暗示するかを考えると、1番と立場が「ひっくり返った」と捉えられないだろうか。そう考えると、(まだ根拠は薄いが)1番と別の三輪車を見ている別の語り手の目線が2番で展開されるという、思ってもいなかった読みが現れてくる。すると、「誰かにとって大事なものだったのに(邪魔なだけだ)」というところも、1番の語り手には三輪車が大事だっただろうけれども、それとそぐわない「邪魔なだけだ」という冷めた感想を別の人物が語っているように思えてくる。2番の語り手は1番ほどロマンチストではなく、どこか冷めている。


Bメロ 

ひとの気持ちが錆びるのは
しあわせになれすぎて
普通になるから
(ときめきも)



そのような冷めた気持ちが語られるのがこのBメロで、この語り手のなかではもう、かつてのときめき、こちらから抱いていた友情が錆びてきてしまっている。続くサビからして、錆びている三輪車を見ながら、1番の語り手同様に昔の友情を思い出したのだろうけれど、2番のほうは、だんだん大人になることで、最初に幸せな経験をしたときに感じたようなときめきをひとは失っていくんだな、と思っている。というより、思い込もうとしている。


サビ 

君はどこなの
(あれからずっと会っていないし)
あの頃のように
(アパート引っ越したと聞いた)
会いたいけれど
(昔のことなんか興味ないか)
三輪車に乗れない



「君はどこなの」は、語り手がひとりだと仮定すれば、「僕はここだよ」と言っているその人物が言っていることになるが、そもそも歌のここまでまったく相手のことが出てこないので、「君」って誰だよ? ということになってしまう。その点、ふたりだと思ってみれば、「僕はここだよ」と一方が誰にも届かずに叫んでるとき、実は彼を「君はどこなの」と探している友達がいるということになる。

ここで重要なのが「アパート引っ越したと聞いた」というところで、1番のAメロで、アパートの前の三輪車を気にしている1番の語り手は、アパート暮らしの人間で、転勤かなにかでアパートからアパートへ移っていく、そういう生き方をしているのだろう。それを2番の語り手が聞いたとすれば、自然な流れになる。もちろん、語り手がひとりだとしても破綻するわけではないけど、こうやって同じ単語を歌詞に二度使う場合、気の利いた作詞家なら、それを登場人物の属性として結びつける、そういう技巧を凝らすものである。

この2番の語り手も、1番の語り手と会いたいと願うけれど、こちらは冷めている(あるいはより大人なため)、自分の感傷を冷ますように、相手は「昔のことなんか興味ない」だろうとひとり結論づけて、「三輪車に乗れない」。だから、1番は「思い出に乗りたい」と乗りたがっていて、曲の題名も「三輪車に乗りたい」なのに、こちらの人物の気持ちは「三輪車に乗れない」なのである。ラスサビでも、2番のサビが繰り返されたあとも「僕はもう子供じゃない」と付け加えられている。2番の語り手は、大人になってしまったのだ。


Cメロ 

街の灯りがいつのまにか点いている
「もうこんな時間なのかなんて空の気配で気づいて」
影法師の長さがなんだか懐かしかった
何かに夢中になるっていいもんだ



三輪車を眺めて考え事をするうちに、時間が経ってしまう語り手。影法師を懐かしむうちに、現在と過去が一緒になる(イラストなら、子供の姿と大人の姿を重ねて描くところだ)。そのため、「何かに夢中になるっていいもんだ」の「夢中になる」は、いま回想に夢中になっている大人の語り手と、その回想のなかで三輪車に夢中になっている子供のころの語り手の両方にかかっている。

問題は、これは誰の視点かということになるが、1番の語り手としても良いし、2人で歌っていることを思えば、それぞれが別の三輪車を見つめて、幼少期を思い出して、同じこと、同じ記憶を思い出していると考えるなら、なおさら詩的である。

ラスト

僕は三輪車のベルを鳴らした


これも、Cメロと同じように解釈して、2人で歌っているんだから2人で鳴らしていると考えても良いし、2番の語り手が自分のことを「僕」と呼んでいないことを考えれば、1番の語り手だと思っても良い。

ベルを鳴らすということはたんに三輪車を触っていることの描写だけでなく、家のベルを鳴らすことの暗示にもなっていて、相手との接点である三輪車のベルを鳴らすことは、相手に会いに行ったことを想像させる。歌が終わったあと、再会のシーンが続くのだろうか。曲の物語はたんなる過去の追想ではなく、未来に開かれている。

それにしても、最後のベルの音は、歌詞を踏まえないと曲に入らないものだけど、秋元さんは曲先で詞は後だから、彼が三輪車についての歌詞を書いたあとで指示を出して、そのあと追加したんだろうな。

2018.07.04 | Comments(0) | Trackback(0) | 乃木坂・欅坂

乃木坂メモ 活動制限について

久保さんの活動制限についてはたいへんショックで、お大事になさってほしいなと思う。
ただ、ショックではあるけれども、納得するところはある。ついでに言うと、僕は運営が10代の子をときに働かせすぎるということについては基本的には批判的だけど、久保さんについては仕方ない部分もあると思う。それくらい、彼女はブログを読んでいても、大変に頑固な女性だから。

彼女の感性が常人より圧倒的に鋭敏なことについては、もう最初のほうのブログから明らかで、それを15歳の子が持っているだけでも、周りが気をつけないといけないのは事実。
程度の差はまちまちだけど、欅坂の平手さん、乃木坂の齋藤飛鳥さん、ひらがな1期の柿崎さん、2期の小坂さん、みんなそういう危うさを持っていて、平手さんはその状態で人気グループのセンターを務め続けることで、まあ大変な経験をしている。齋藤さんは抜擢されなかったのが幸いして、いま少しすねたところのあるとても魅力的な大人になった。柿崎さんは少しだけセンターをしてからの、少し下がったいまの立ち位置でとてものびのびしている。きっと、また大人気になるときが来るけど、その準備がうまくできそうだ。小坂さんは、どうなるかわからないけど、いまのところ甘える相手もたくさんいて、笑顔も多くてホッとする。

こういう環境の点で言えば、運営は久保さんを悪くない位置に置いていたと思う。大園さんの位置ならもっと早く潰れていたし、干されていたら今以上に努力に必死になって、やっぱり力尽きていたと思う。だから、期待のホープだけど先頭ではない、という位置を与えた乃木坂さんは責められない。そもそも採らない方が良い、みたいな指摘には、もしよそのグループに入っていたらもっと過酷だったかもという反論がある。

ただ、運営がどう配慮をしたとしても、久保さん本人は、とても頑固な人で、おそらく一度は壁にぶつからない限り、このただでさえ鋭敏な感受性に負担をかけ続けることをやめなかったと思う。

僕が自分のブログを「久保」で検索すると、2017/1/29にこんなことを書いてる。

乃木坂3期の久保さんは毎週たいしたものだと思う。(中略)

人気とかスケジュールに感受性の強い子が潰れないで欲しいな、ってそれだけはいつも本気で思う。生田さんの言うとおり「ひとは限界と思ってからもうちょっと行ける」けど、だいぶは行けない。



まあ、我ながら気持ち悪いと思うけども、でも、こういう危惧はずっと持っていて、それでも久保さんは、それこそ次のブログの題名を「限界なんてない。久保史緒里」としていて、たくさんのファンがコメントや握手会で頑張りすぎないでね、と伝えても突き進み続けたのだと思う。それならば、本人の意志が尊重されるべきで、本人の体が拒否するまで続けるしかなかった。

だから、ずいぶんあとのことだけど、僕はこうも書いている。2017/11/2だから、秋から体調が優れないという時期にもう入っていたのかな。長らく更新していなかった僕ながら、久保さんの「どこへ行ったの?戻っておいで。久保史緒里」というブログを読んでのこと。思えば、久保さんの次のような文章は、今日の日を予言していたのかもしれない。

嬉しい。悔しい。悲しい。楽しい。
そんな私の中にいる感情たちに、
新たな仲間が増えていく毎日。
最近、仲間が増えました。
きっととても重要な役割を果たしてくれる、
大切な子なのだと思います。
いつか、その子がいてくれて良かったと思える日が来たら、皆さんにも紹介しますね。


僕は、この箇所だけじゃなく、全体を見て感じるものがあって、何か書き留めておかないとと思って、気付いたら4ヶ月ぶりに投稿していた(できれば、いまの引用だけでなく、その日の久保さんのブログを見て、その文章力に目を見張って欲しいと思う。そこから何も感じ取れない人とは、僕は友達になれないかもしれない)。

なぜか、いやなぜでもなく理由は定まっているけど、2回続けて久保さんのブログを開いた。相変わらず言葉が丁寧に使われていて、相変わらず、頑張りすぎないでねと言われ続けているのに頑固に頑張ると言い続けている。僕も頑張りすぎないでほしいけれど、でもこの頑固さ、変わらなさはとても魅力的だ。


おそらく、ただ上辺の魅力で受け入れていたわけではないファンならば、こういう意味での諦めというか、受け入れをしていたと思う。久保さんみたいな天才肌の完璧主義は、どこかで壁にぶつからないと、自分との付き合いかたを見つけられない。それが遅くなるほど、生き方を変えるのは難しくなるから、まだ16歳というこの若さだったのは不幸中の幸いだったと思う。

そういう意味で、ひとが体調を崩したときに、最も言うべきではない言葉にもかかわらず、僕はこのことに「良かったね」と言いたい気持ちさえある。彼女が持っている、言葉や音楽や演技の才能は、この経験でなお磨かれるだろうから。

2018.06.30 | Comments(0) | Trackback(0) | 乃木坂・欅坂

けやき坂メモ ブログ

そう言えば僕はブログ読みが趣味で、もちろん最近もずっと読んでいるんだけど、昔はほんとに熱心に感想をメモしていた。ちょっとその時間は取れないけど、ひらがな2期生さんのものを読んでいると、もともと上手くて安定感も抜群の宮田さんや(特に「じきに目覚ましが鳴ります」は題名通りの時間のぼんやりした思考がつづられる好エッセイ)、全曲の感想を上げたりと張り切るとさすがな富田さんはもちろん、他にも成長してる子が多いなあと思う。

小坂さんなんか元から年に見合わないほど思考の筋が良いし、金村さんや丹生さんも良い感性をしてるけど、個人的に最近、質が高く仕上げられていると感心するのはべミホさんのもので、最初期は話上手な子が勢いよく文字に起こした感じとか、そうかと思えば癖のない爽やかな優等生っぽい感じがあって、ちょっと良さげな普通のアイドルブログだなみたいな感想だったんだけど、いつからか自分の個性や感想を自分の言葉で(でもブログに合わった表現で)語るのがうまくなっていて、お姉さんの添削もあって短期間にコツを掴んだなあという印象を受ける。芸術家肌の文章ではないけど、長文でも全然破綻していなくて、ご本人が言っているとおり読書が趣味というのもうなずける。題名も、たんに内容を業務的に表したものでもなく、と言って狙い過ぎもせず、ささやかなアレンジにセンスが光る。写真も上手くて、ファンのそちらの需要にも答えてるだろうなと思う。


あ、あと最近、東村さんもちょこっとブログらしいところが出てきて、昨日の「聞いてください」なんてビックリしてしまった。そういう変化を見守るのも、やっぱり楽しいなあと思う。

2018.06.27 | Comments(0) | Trackback(0) | 乃木坂・欅坂

けやき坂メモ ひらがな推し バンジー完結編

ひらがな推しは、気楽に見られる回ではないけど感動するという、先週の予想通りだった。

とはいえ、2人脱落は予想外で、ちゃんと跳べない子は跳ばさなかったところは番組スタッフさんが立派だったと思う。代打も本人のアイディアか番組的に想定内の救済措置だったかは分からないけど、佐々木久さんが見事に務めて言うことはなかった。井口さんも見事だったんだけど、個人的にはなんかこう、一度跳んだ子がうまく喋れなかったからリベンジしたいとか次はフォームをキレイに跳ぶとか、そういう前向きな方向へのアレンジを二番手にはよくばりにも期待してしまったので、オードリーさんの同じ落ち方だよ、というツッコミに納得してしまった部分はある(でもそこでつっこんで面白くしてくれるMCがいるのだから、それで良いのだけど)。その点、後ろ向きのうえ、ひざを使って跳んだ佐々木久さんは100点満点だなと思った。

代打についてだけど、なぜ代打したかといえば、当然、彼女らが褒められるためではなく、高瀬さん宮田さんをかばってのことだから、僕らはもう彼女らが跳んだと思って、19人頑張ったなあと思っておけば良いと思う。足が動かないとか過呼吸は、意志の強さの問題を超えている。2人には2人の能力と活躍の場が間違いなくあるし、そのとき2人は自分の手柄だけを誇ってチームを忘れたりすることはない、2度跳んだ2人はそれを確信しているからこそ代わりに跳んだんだから、そういう粋な代打のあとにとやかく言うのは、まったく野暮だと思う。「約束の卵」の歌詞いわく、「もし仲間が倒れたときは僕が背負うから」ということだ(そういえば、かとしさんがバンジーを終えて倒れているとき、佐々木久さんは背負うと申し出ていた)。もちろん、アイドルとして人気を得ることを考えれば、跳べなくて迷惑を掛けたとか、ファンの期待を裏切った的なブログを上げることは意味あることだし、さっそく実践した宮田さんは過不足ない完璧なブログでさすがピンチをチャンスに変えてるなと思う。グループ的にも、この文章力を生かすタイミングが必ず来る。

番組のほかの部分について

あんまり見返したくないながら、見返していると、代打が決まったあとで佐々木久さんに抱きついて高瀬さんが泣きながら謝っていて、足が動かないっていう肉体的な無理さよりも、仲間に負担を掛けることのほうが辛かったんだろうなと思う。

河田さんが跳び終えて戻ってきたすぐあとに、そのままの立ち位置で佐々木美さんが代打を提案しているということは、ある程度の話し合いが河田さんの準備中か、ひょっとすると跳ぶ前にできていたんじゃないかな、という気がする。そのあとの佐々木久さんの「時間を残す」という話も考えると、跳べなかった3人のうち誰かひとりだけ跳ぶ時間あるよっていうことで、河田さんが挙手してチャレンジしたなんて展開もあったのかもしれない。

あと、先週書いた、ヒット祈願のセリフで自分の言葉を選べるひとはすごいっていう点で、普通、追い詰められているひとは何も考える余裕なんてないから、今週はほとんどテンプレのセリフそのものとかそのミスのセリフで、それは仕方ないことなんだけど、最後に跳んだかとしさんは、あれだけテンパりながらも「ひらがなけやきが世界中のひとに愛されるグループになりますように」って完全に自分の言葉をチョイスしていて、個人的には一番その部分で感動した。
かとしさんは「楽しい」連呼してるところから足元つまずいて「無理」に変わるみたいに、バラエティの神にも愛されているんだけど、土壇場での底力があるひとだ。あと逆に、「1stアルバム 走り出す瞬間 大ヒットしますように」っていうテンプレ100%をそのまま言い誤らない齊藤さんも、そのマジメさがすごくらしくて良いなあと思った。

最後、曲に合わせてのムービーも乃木坂以来の伝統だけど、とても良くできていて、本編にない部分にも見応えがある。特に、丹生さんが潮さんと金村さんを勇気づけてるところは必見で、僕は乃木坂の深川さんのファンなわけだけど、デジャヴを感じてしまうくらいの聖母感があった。

2018.06.25 | Comments(0) | Trackback(0) | 乃木坂・欅坂

けやき坂メモ 「最前列へ」と声質

*元記事は6/16に書いたもので、某所でパート割を見かけたのでその点について6/22に追記。

最近は、声の交ざり方について考えていて、何度か書いては消したり、下書きに留めている。

特に「最前列へ」という2期生がそれぞれソロパートを持っている曲を聴いていると、誰がどれだろうと想像して楽しい一方で、「この声とこの声が混ざったら、『半分の記憶』のあの声になるだろうか、他の2期生曲と同じ声になるか」などと考えると、はっきり言ってそうはならない。齊藤さんみたいに低くて重い声や、潮さんみたいに高くて明るい特徴的な声であればどのパートに入っても分かるけど、そうでなければ2つの声が混ざると、どちらの声でもなく聞こえたりする。実際、過去に漢字さんの声を聞き取ろうとしたときも、9割がた合っていても、1割は間違っている。それは地声と違う歌声だったり、外部の情報(たとえば本人のうまいへたの申告とか)だったり、たんに僕の耳が悪かったり、いろんな理由から起こることで、10割当てたいな、と思う一方で、間違っても楽しめれば良いじゃないか、と思うこともある。

とりあえず「最前列へ」の場合、1番と2番ではおそらくローテをズラすだけで同じ順番で歌っている。前に書いて投稿しなかった記事からリサイクルしてくると

1「人の背中は不思議だ」
2「いつも何か語ってる」
3「ちゃんと言葉にするより」
1~3「正直だよ」

4「僕は前には立たない」
5「本音知られてしまうし」
6「そんな器じゃないんだ」
4~6「目立ちたくない」

7「誰かのあとを」
8「付いて(い)くほうが」
9「何となく楽だろう」
7~9「大勢の人の波 流されて(い)くのが人生」

4「僕の背中も誰かが」
5「きっと じっと眺めてる」
6「何を思っているのか」
4~6「読まれてる」

7「向上心というのは」
8「いつだって恥ずかしいし」
9「競い合うのは苦手だ」
7~9「譲りたくなる」

1「ライバルなんて」
2「意識しなかった」
3「二番目で構わない」
1~3「足跡のない道は 疲れるだけだし避けたい」

こうなると思う。いろいろ予想も立てて、8割方あっている自信はあるけど、今日はあまり誰かを当てようとせずに、声質についてメモしておこうと思う。というのも、あとから誰か分かったとき、記憶を書き換えてその人っぽい声のイメージを当てはめてしまいそうなので、いまどういう声だと感じているかを記録しておきたいから。

まず無難に上手いと思われて、本人も歌に自信がありそうなひとが歌っているのは6と9で、喉が緊張していなくてお腹から伸びやかに声が出ているし、2回の歌唱部分がともに安定している。ライブなどでは軸になると思う。
それから3も特に2番の「二番目で構わない」のところは高めのきれいな声がお腹から出ていて、たぶんサビとかでも重宝されて混ぜられている気がする。この3人は発声がレガートで、最後に余韻を響かせるのも上手。そのなかでは9がアタック感を重視した歌い方な気がする。
7は一番の飛び道具で、声は安定していないけど、1番の「誰かのあとを」のところみたいに伸びやかに歌えば声優さんのような高めの聞き心地の良い声をしていて、自信を付けたら変わるんじゃないかと思う。
8は逆に断トツで低音が出ていて、全体のバランスにとても役立つだろう声。ちょっとおずおずと歌っている感じがこの録音だけで言えばもったいないかなと思ったけど、低音が出るのは高音以上に素質なので今後も活躍するだろうと思う。
4はライブで安定してこの声で歌えるのかは分からないけど、とてもきれいで印象的な高音で、たぶん声を音として使うようなテクノ系の曲だと一番魅力的だし、そうでなくても曲のイメージを一変させられる美声だと思う。
2は少し高めのバランス良い声質なんだけど、お腹から声が出ていなくて、あんまり歌い慣れてないというか大声を出し慣れてないのかなと思う。その点、1はまだ荒削りなんだけど、「自信を持って歌って」とおそらく指示が出ていて、ちゃんとそれができているのが良いなと思った。感情表現ができるようになっていけば、主役になっていくのかもしれない。
5が一番、独特な発声というか言葉の投げ出しかたをしている。ひらがなだと井口さんって声質自体も高めで独特だけど、喋り声に似た歌い方をしていて、ひらがなではこの5がそれに当たる喋りっぽい歌い方だけど、意外とこういう声が混ぜたら適度なアタック感を与えてくれたりするかもしれないとも最近思っていて、結局は混ぜたときの良し悪しだなと思ったりする。


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2018.06.22 | Comments(0) | Trackback(0) | 乃木坂・欅坂

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プロフィール

tieckP(ティークピー)

Author:tieckP(ティークピー)

だいたいどこでも曲を作って、自作曲には詞も書いてましたが、文章を読み書きするのが特技で、最近は欅坂46さんのブログや番組についてメモをとる日々です。乃木坂さんはずっと深川さん推しです。 twitterのアカウントも@tieckP。メールアドレスもtieckP+gmail.com(+の代わりに@で)です。お気軽に連絡どうぞ。

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