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語り直し(retold)についてのメモ

以前から、友人に何がやりたいかという話で、古典の語り直しがやりたいと語ってきた。

それは著作権が切れていて面白い作品がたくさんあるにもかかわらず、それをいまの若い人に読んでもらうのに、翻訳という方法だけでは限界があるのではないかと思っていたからで、映画やゲーム、漫画のようにメディアを変える際にはそれを言い訳として場面の再編成ができるのに、同じ文字同士だからという理由で遠慮していては、言葉でのエンタテインメントはどんどん低迷していくのではないかなと思ったからだった。

もちろん、言葉の天才が残したものを「語り直す」には才能かうぬぼれかどちらかが必要で、その欠如が妨げになるのは事実だと思う。しかし、そもそも文学とはシェイクスピアだって語り直しなのだし、フランスやドイツの古典演劇だって語り直しなのだから、古典を神聖視する必要はなく、うぬぼれない者でも気軽に試みることこそ重要だろう。彼らが天才だから許されたというなら、おそらくは彼らの同時代の、同じ事をしながら埋もれていったたくさんの作家がいることが反証として挙げられるだろう。埋もれれば誰の迷惑にもならず、埋もれなければ天才の証明になるとすれば、語り直すことに躊躇する理由はない。

この構想自体は以前からあったのだが、具体的にどうすれば語り直せるかを考えて、たとえば個々の語り直しごとに自分でその原作への忠実さを数値で示すようなことも考えた。しかし、たとえば美しい叙述の部分は正確に訳し、現代の視点からすると描写過剰な部分は簡略に書き直したとしたら、その全体について忠実さの点数を付けるのは難しいことである。

そこで、同じ1つの語り直しのなかに複数のラベルを導入して、明示することを思いついた。[解説][語り直し][超訳][翻訳]の4つを用いるのが良いように思う。もしかすると[翻案]もあっても良いのかもしれない。
[語り直し]と[超訳]の差が分かりづらいかもしれないが、前者はそこで述べられている出来事をいったん原テキストから離れて再構成し、現代的に書き直すということで、[超訳]は原文を順に訳しつつも、リズムが合わないとか、説明がくどいとかいうときに、作者が現代の日本語作家だったらどう書いていただろうという立場から魅力的な文章に整え直すということである。こう説明するとややこしいが、簡単に言えば[翻訳]というラベルが持つ忠実さに窮屈さを感じたときに、明示したうえで原文を離れて訳すのが[超訳]である。

なお、個人的な考えとしては、たとえ[翻訳]と付けてもそこにおいて厳密さは追求されない。たとえばギリシア語が読めないにも関わらず訳したくなったとしたなら、重訳も辞さない。理由としては、「語り直し」という方法を選ぶ時点で、すでに多くの忠実さを失っているからであり、また、その厳密さを追究したときに手に取るべき翻訳が日本にはすでに豊富にあるからである。そのレベルを目指すのは「語り直し」の一部としては労力に見合わない。あれにはあれの、これにはこれの良さがある。

このようにルールを決めたので、あとは実際にときどきでも語り直せたら収穫であり、ここで終わっていれば怠惰の表れである。まあ、あまり気負わずにやってみようかと思う。

2018.04.21 | Comments(0) | Trackback(0) | 文学

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tieckP(ティークピー)

Author:tieckP(ティークピー)

だいたいどこでも曲を作って、自作曲には詞も書いてましたが、文章を読み書きするのが特技で、最近は欅坂46さんのブログや番組についてメモをとる日々です。乃木坂さんはずっと深川さん推しです。 twitterのアカウントも@tieckP。メールアドレスもtieckP+gmail.com(+の代わりに@で)です。お気軽に連絡どうぞ。

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